こっそり、お披露目 『同人誌『土曜勉強会 2014年度』に寄稿原稿』 第7弾 『故郷』について考えてみた ~

2014年11月16日 06:25

ここで、少し、『故郷』という言葉について考えてみたい。

故郷。

それは、一体、なんだろう。

日本?ブラジル?地球?

『世界の一体化』が叫ばれている中、地球を故郷にする人が出現してもかまわない世の中である。

でも、そういう人をかわいそうだと思う人たちもいる。どっちつかずになるからだ。

中立な立場で全体を見ることのできるひと。それが、『国際人』だと思う。

そういう人って、不幸せで中身がからっぽなのだろうか。

『国際人になれなかった日本人』から『国際人になって批判される日本人』が、最近、増えた。

もっとも、宇宙から地球をみたら、国境も国も見えてこないのに、美しい地球の姿に汚れも見え始め、

みんなが一つになって話し合える場があれば、それでいいと思うんだけど…

それには、日本人として、アメリカ人として、ブラジル人として、ドイツ人として…

各国の教育をキチンと受けなければ、人格形成も、いわゆる素晴らしい人は、できないのだろうか。

父親をアメリカ人、母親を日本人にもった子どもの『故郷』はどこになるのだろう。

しかも、『故郷』を一つしかもってはいけないとは、だれも言えないだろう。ただ、どっちつかず…というだけなのだろうか。

『故郷』がない

  ↓

アイデンティティがない

  ↓

無国籍

  ↓

どっちつかず

このような経緯をたどるのが普通だと思う。でも、右のようになってはいけないという。たしかにそうかもしれない。

『日本人として生きて、日本人として考えたうえで、グローバルな問題を考える必要がある』と、最近、いわれた。

べつに、『日本人』のところは、どの国の人であってもよいのだが、考えに一貫性を持たないといけないという。

たとえば、『アメリカ人として生きて、アメリカ人として考えたうえで、グローバルな問題を考える必要』があるというのだ。

そうなのだろうか。わたしには、わからない。現実問題、世界を転々と歩き回る『帰国子女』をもった家庭は昔に比べ、

増えているのである。彼らは、心に『リトル・ジャパン』をもちながら、生活し続けているのである。

必要があれば、英語を学び、インターナショナル・スクールで国際感覚を養っていく。

そういう人たちは、どこに『故郷』をおき、『どこの国の人』として、生きていくのだろう。

 

彼らが大きくなったとき、聞いてみたい。

そして、『故郷』ってなんなんだろう。

だれかが、答えを教えてくれるのだろうか。

手がかりが見つかるといいなぁと思う昨今である。

                                          ( 次回に続く ) 

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